病んでるの?
奥さん病んでない?
今度初めて一人でキャンプをしてくるのだが、旦那がそのこと、会社関係のひとにちらっと話したところ、不倫を心配されて、念入りに用意をしてるからそうでもないといったところ、今度はなんか心の病気を心配されたらしい。
なんじゃそりゃーーー!
病んでないから趣味に気が向くし、1人で行くってだけで心の病を心配されたらたまったもんじゃない。
こころからは推測だが、結婚した女は一人で泊りに行くには異常なことだと会社関係のおじさんは考えたのかもしれない。そうだとしたら、それは可笑しなことだと思うし、一人の人間として既婚女性を見てないと思う。
同じ人間なら、男はできる普通のことを女はしてはいけないって変だ。
特に趣味に関しては、ほっておいてほしい。
やるべきことをしてからの遊びの部分。自由じゃない?
ネットをみててもたまに感じる違和感。
まぁ実際問題どうでもいいんだけど、自由ってなんだろうね。
私が恵まれているから、言いたい放題なのかもしれないが、人生の選択の結果が今の状況を作っていると思うし、過去を悩んでも今自分が何をしたいかを考える方が大事だ。
嫌われる勇気をやっと読む
こんにちわ、ギンザンマシコです。
この名前はちょっと前からなんとなく使い始めて、気に入っているのでこの名前の設定で書いていきます。
よく旦那に中二病と言われるのですが、やっぱりかっこいいものはかっこいい。
ここだけの話、刺青もいれたいし、ボディピアスもしたい。
痩せたらおへそにピアスして、耳の軟骨や乳首にもピアスしてみたい。
でも、日本に暮らすにはそうなると不便になるのを知っているからしない。
だって温泉好きだし、清潔なトイレからも離れたくない。
先日クレイジージャーニーでボディーハッキングを取り上げていた回で、ボディサスペンションが流れてて、昔よく読んだ雑誌で見てて憧れたなーって思った。
うーん黒歴史。
でも年月は過ぎ、平和な家族の単位で生きてる今の私は過去とは違う。
守るべきものができて、子供が独り立ちするこの先20年くらいの人生の使い方はだいたい決まってる。
そこでやっと嫌われる勇気の感想なんだけど、私は自分をそんなに好きじゃないと思っていたし、35までには華々しく人生を終わるつもりで20代のころは生きてきた。
街に出ると人の目が気になり、歩くだけで周りに敵意を向けていた。
でもこの本を読んで自分がどんなにナルシストで過去ばかりに囚われていたのかがわかった。
嫌われる勇気の最後には「いま、ここ」に強烈なスポットライトをあてよって書いているんだけど、そうだよなって素直に思えた。私は今を生きているから。
過去は所詮記憶のなかの出来事。その自分と今の自分を切り離して、今を一生懸命に生きることが、死ぬとき一番後悔なく死ねる。
自由に人を信頼して、人の役にたつことで、評価関係なく私の中で存在価値があることを感じ、貢献感を満たすことで幸せを実感できる。
・・・・短く感想を伝えようとすると、伝わりづらいけど、とりあえずは人の目を気にせずに私は身近な家族に尽くすことて「ここにいていいんだよ」という自らの価値を実感して生きていこうと思う。
幸せになる勇気を読んだ感想
今日は幸せになる勇気を読んだ感想を書く。
というか私は読んでないが、読んだ旦那の感想を忘れないようにメモしようとおもう。
朝6時から、あーだこーだ真剣に話し合って頭が冴えた。たまにはこういう話し合いも大事だなって思った。
旦那の感想です↓
一言でいうとこの本は愛について書かれていた。
前回の嫌われる勇気が具体的にかかれていた。
教育のこと尊敬するということから始まり、それらを深く掘り下げたのち、仕事の関係・交友の関係・愛の関係について書いてあった。
・・・・という感じでかなりまとめたが、実際には自分たちの生活に当てはめながらこの話を45分朝から話していた。
とても有意義な時間だった。
そしてこういう話を色々質問したり意見言ったりしながら目を見て話せる今の関係は愛の関係なのかなって思ったりした。
実は私はまだ前作の嫌われる勇気を9割くらいしか読んでないww
なのでこれから読んで、幸せになる勇気も読んでみたい。
人の呼び方
学生時代から仲のいい知り合いとかは、そのときの呼び名で呼ぶことができるが、30過ぎていい大人になってから知り合った人は、なんて呼んだらいいか迷う。
苗字とさん付けで呼ぶのは一番無難だとは思うが、特に仕事とかからまない場合、私は考えてしまう。
具体的な例でいうと子供を通して知り合った人。通称ママ友。
○○君ママとか、○○ちゃんママというのは、そんな仲が深くない時は便利だが、ラインとかSNS通して交流をして、ランチとかいくくらいになると、次のステップかなって思う。
私は基本ママ友という言葉が嫌いだ。
だから変に深く考えているとは思う。
子供を通しての付き合いから、個人の魅力に気づき、深く交流していきたいと考えた時、最初に呼んでた呼び名がネックになり、役割を纏った状態の付き合いが続く場合がある。
そこで○○って呼んでいい?と聞けばいいのだが、今更かなと感じると聞きにくいなって思ったり、こっちは○○さんとか○○ちゃんと呼んでいるのに、相手は○○ちゃんママとしか呼んでくれない一方通行の片思い状態におちいる。
だから難しい。
そういうことなら、最初から○○さんと下の名前で呼んだ方が無難かなと最近実践している。
ママ友はやっかいかもしれないが、同じ人間で同じ性別で、子供がいるカテゴライズの中で生活している共同体。
いつも笑顔で相手のいいところを見つけて、平和に暮らしていきたい。
人生そんなに詰め込むなって
今までちゃんと文を書いてないとだめだと思い、なが~い文をかいって苦しんでたんだけど、っていっても書く人から見たら少ないが、私なりに負担だ。
やっぱ慣れないことはしなくていいや。
人生そんなに詰め込んだら疲れちゃう。
最近それなりに生きてることが大事なのに気づいて、その中でも外せないのは守りたいなと思い、私の中で何が大事か考えてみた。
子供?旦那?家族?役割?
いいや、なんかぴんと来ない。自分を犠牲にしてまで守りたいと言われると冷たい人間かと思われそうだが、そこまでって感じ。
みんな笑顔がいいと思う。
自分が笑えない辛さの中、周りで家族が楽しそうにしてるとかちょっと違う。
そこで私が大切にしたいことを思い出した。
心の平和。
うん。それだわ。最近マイブームなソロキャンプもそれにつながるし、フェイスペイントしてる時の子供の笑顔は最高の良い刺激。
そうだ。心の平和、大事にしよう。
ではそんなところでここまで。またね。
子供のお弁当を彩る絵
キャラ弁ってめんどくさい。
現在幼稚園のプレみたいなところに通う息子の為にお弁当を作っているのだが、そんなキャラ弁を意識して作るとしんどい作業になる。
お弁当が始まり、キャラ弁というか彩りを意識してきれいに盛ったお弁当を持たせていたのだが、ちょこちょこと残すことが多かった。
そこで実際にプレがないときに、家でたべるランチをいつも作るお弁当をあげて様子をみた。
その結果、見た目はいいが子供はサクサクと食べてくれず、食べにくそうだった。
まずキャラ弁をやめてみた。
地味な色。だけど息子がよく食べる内容にして持たせた。
うん、そりゃあ残さず食べてくれる。だって食べるものだけ入れたもん。
野菜が苦手なので全体的に茶色い感じ。
これでいいのか?
なんかお弁当ダサい。
まぁ簡単だし、そんなに考えることなくお弁当ができるからまぁいいかなと思っていたのだが、なんせダサい。
それによくよく聞くと、毎回お弁当の時間には一緒に食べる先生に、その日のお弁当を自慢したりしてるらしい。
例えば、たこウィンナーとか、ハートの卵焼きや星形のなんちゃらなどなど。
そんななか息子に持たせているお弁当で自慢できるのはたこウィンナーのみの状態だった。
たまにミートボールの日は息子の唯一の武器である、たこウィンナー自慢ができなかったので何回か「今日はたこさんじゃなかったの?」と残念そうに眉毛を八の字にして聞いてきた。
お弁当に個性を持たせよう。
そして私は考えた。
今更お弁当をキャラ弁意識して作るのはめんどくさいのでどうにかして、自慢できるお弁当にしたいと。
たどり着いた先は、つまようじにマスキングテープを貼り、毎回心変わりが激しい息子の為にキャラクターなど描こうと。
まぁキャラ弁と違って作り置きできるけど、毎朝息子に何がいいか聞いてから描くことで、その楊枝を使い、愛着もって食べてくれているらしい。
まだまだ小さいから、小手先でだませている感じな気がしているが、この先どうなるかはわからない。